私たちは植物の計画の一部にすぎない

植物療法や

植物について学べば学ぶほど、

ある一つの予感を感じるのだ。


「植物は、私たちを完全に利用しているのでは…」

「私たちは、彼らの計画の一部に過ぎないのではないか」


講座で学んできた話や

読んできた本たちが

次々にリンクする。



地球が誕生して46億年。


最初の生物(植物)が

誕生してから約40億年。


その広大な植物の歴史の中に、

ホモサピエンスが誕生したのは、

わずか20万年前。


植物の40億年の歴史の中で、

人間の歴史が比較にもならないほど短く、

動物自体も植物から生まれ、


植物なしでは

たちまち絶滅してしまうくせに、

私は、「植物を尊敬している」

と言いながらも、


どこか下に見ていたような気がする。



人間が守らなければ絶滅してしまう存在。

手入れをしなければ、死んでしまう存在。



なぜなら、

抵抗しないから。

逃げられないから。

考えられないから。


その私に染みついた固定観念が

どんどん崩れてきている。

特にこの本はものすごい説得力だった。


「植物は〈知性〉をもっている」


植物は抵抗してるし、

植物は逃げられないのではなく、

逃げないのだ。


種が落ちたら

宿命的に動かない(逃げない)

戦略を選んだけれど、


逃げなくても、繁栄していける

システムを構築している。

(植物療法で頂く自然の恵み、

フィトケミカル成分もその一部だ)


そして、何より植物は”思考”している

(つまり考えている)という主張だ。


人間は基本的に五感(六感)を使って

生きているが、

植物はなんと20感もあるというのだ。


動物よりも15種類も多く感覚があり、

それらを巧みに操り、

生存戦略を練っている。


(まるでビックデータのように

湿度計算、養分計算、監視システム

などを駆使して根をどこに伸ばすべきか、

仲間に危険を伝えるべきかを考えている)


そして、思考の要は根っこ。


歴史的自然科学者や哲学者の中には、

植物は人間が逆さまになって、

土の中に頭があるようなものだと

例える者もいた。


根っこで思考しているらしい。


自分が動かない代わりに、

風や水の自然、

何十億年前に自らが生み出した

虫や動物たちを使い、

種を運ばせる。


そして、その戦略は今も変わらない。

動物は植物たちの手のひらに

乗っかっているわけだ。


人間を利用している植物も

中にはきっといる。


「人間はこんな色の花を咲かせたら、

交配を助けてくれるらしい」

「人間はこんな味の実をつけたら、

持ち帰ってくれるみたいだ」

「こんな成分を求めて、

刈り取りをしてくれるらしい」


彼らの計画の一部、

それが人間なのかもしれないと

核心に近いものを感じている。


私が日々、

自分を整えるために活用している

エネルギー哲学を提唱している

須王フローラさんの初著書

「花を飾ると、神舞い降りる」でも、

私たち人間は植物が作り上げた

環境の一部であるという

話が出てくるのだが、

そこでもリンク。


「植物と叡智の守り人」という

ネイティブアメリカンの

植物学者の方が書かれた本でも、

人間とgive and takeする

スイートグラスの話が出てくる。



講座や本や実践の中で

静かに蓄積されてきた知識が

突然繋がる感覚が

たまらなく好きだ。


カチッカチッとはまる

パズルのよう。

0コメント

  • 1000 / 1000