心が追いつくのを待つ

星野道夫さんをご存知だろうか。



アラスカに住んでいた

写真家の方だ。


私は彼について

全く知らなかったのだが、

子供たちがこの夏通った

日本のオルタナティブスクールの

それぞれ違う学校の二人の先生が、

おそらく星野道夫さんに

少なからぬ影響を受けて、

この道に進んだであろうことを感じ、


試しに彼の代表作「旅をする木」を

読んでみた。



そして、私は

すぐに少し高い写真集と

彼の著書を購入した。

(写真集なんて、生まれて初めて買った!)


彼から本や写真を通して

発せられるものに

すっかり魅せられてしまったのだ。



星野道夫さんは、

40代前半で撮影のために滞在していた

ロシア(だったと思う)で、

クマに襲われ亡くなった。


私は本の中に

彼のアラスカの自然をずっと見つめてきた

曇りのない瞳を感じていた。


亡くなっても

著者が本の中で生きているって

こういうことなんだろうなと思った。


彼のおかげで

すっかりアラスカに

恋焦がれてしまったのは

言うまでもないが、


今回、

日本からアメリカに戻ってきたときに

彼が話していたのは

このことかもしれないと、

すごく思い出す一節があった。


それは

アンデス山脈での発掘調査隊の話。


荷物を担いでいたシェルパたちが急に

ストライキを起こし、困り果てた隊が

追加で支払うことを告げたら、

返ってきた言葉。


「私たちはここまで速く歩き過ぎてしまい、こころを置き去りにして来てしまった。心がこの場所に追いつくまで私たちはしばらくここで待っているのです」


この節を読んで、

現代社会に当てはめたり、

解釈は色々だろう。



ただ、実際に

飛行機で夜を超えて

一気に移動すると


完全に心が置き去りにされているのを

感じたのだ。



もちろん、時差ボケで

身体のリズムが崩れるのは

そうなのだが、


戻ってきてすぐは

心はまだ太平洋上空で

身体だけ、とにかく

ここにはあるけれども。



二、三日が過ぎ、

心が徐々に近づいてきていることを

感じていた。


あ、もうすぐロスに着くな。

あと少し、サンディエゴが見えてきた。

そして4日目の朝、

起きたら身体と心は一つになっていた。



こころが追いついてきてない間は

とにかく難しいことを考えることも

夫と真剣な話をすることも

とてもじゃないけどままならず、


「ごめん、身体はサンディエゴなんだけど

スピリットがまだ太平洋なんだ。その話、あと2、3日待って。そしたら聞けるから。今はちょっと私には強すぎる」


と、彼にとったら

訳の分からない説明をして、

待ってもらったりした。



移動距離も、

人生の速度も、

早ければいい、

というものでもないのだろう。


身体と精神が

同じ歩幅で歩けたら、

それが最高だ。


とは言うものの、

知らずにどちらかが

早く行きすぎることもある。


そしたら、ただ静かに待つ。

気づいたら、待てばいい。


また一つになるまで

のんびりしながら待つこと。


今はまた、

身体と精神が

サンディエゴの土地に

馴染んでるのを感じている。



ああ、いい街。

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