表現とは

先日、
好きな写真家さんである
秋月雅さんのWSに参加しました。

内容は
「表現について、思うことを聞かせてください」というもの。

特に詳しい内容も分からないまま、
なんだか楽しそう!と、
その日に連絡して飛び入り参加。

参加してみて、
雅さんともう1人の主催者であるKaoriさんが
「あなたにとっての表現は?」と
100人にインタビューするプロジェクトだったことを知りました。
(ちゃんと読んでなくてすみません汗)

表現についてなんて、
少し前の私だったら
素通りのテーマでした。

アーティストじゃないので、って。

でも、とある本を読んで

「表現って、感情の排出であり、全ての人が日々してること」なんじゃないかなと思うようになったのです。

何も特別なことじゃないし、
必ずしも人に見せるものでもない。

むしろ特別になってしまうと
うまく表現できなくなったり、
なんだか億劫になったりするから、
肩の力を抜いて、自分にとって
日常的に継続的にできること。


そのWSでは、
そこまで言葉が出て来なかったけど、
終わったあと、お二人と他の参加者さんとのやりとりが波紋のように広がり、
静かな余韻が残り、
考え続けてしまいました。


自分の中のある感情を意図して

それを何らかの形にして外に出したら、それはもう高められた「表現」なんじゃないかと。



つまり、
例えば落ち込んだときの呼吸だって、
「あー落ち込むなぁ」という感情を
意図して、わざとくさくつく、
はぁぁぁああぁというため息だって
少し高められた表現。

なんかよくわからない
たゆたうような感情を意図して
淹れたお茶も表現。

美しくなりたいという気持ちを
意図して選択した洋服だって。

そう考えると
ほら、日常に転がってますよね。

肩の力を抜いて、
誰に見せる必要もなく、
ただ自分で楽しむ。

排出したあと、
幾分か気持ちよくなるもの全て。


トップの写真は
主人が撮った彼の表現であり、
私の表現。
(お試し被写体、疲れたぁ....)

雅さんの撮影セッションも
いつか受けてみたいなぁ。




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