人間は地球にとって害虫でしかないのか

今、ゆっくり読み進めてる本。

少し前に地球に

できることを少しでもしていきたいと

記事に書いたが(以下記事ご参照↓↓)



その記事の中で出てくる本は、

こちらの本。

(本のシミはお気にならさずに(笑))



ネイティブアメリカンの

植物学者である著者の

植物と人間のあり方がエッセイ風に

書かれている。


読み進めると

「地球はあなたのことを愛してるか」

という話の後には、

続きがあった。


「地球も私たちのことを

愛し返してくれているという

とんでもない概念を

私たちが信じたとしたら、

どんなことが起きると思う?」


「あなたを愛してくれるものを

傷つけようとはしないよね」


食について勉強すると、

人間の横暴さに驚き、


(といっても、横暴である意識は

提供する側もないと思う。

むしろ誰かの笑顔を想像しながら

日々仕事をして下さる

生産者の方々ばかりだと思うのだ。

だから余計に切ない...

私は生産者の方々を責める気は毛頭ないが

この仕組みには疑問を感じている)


何も知らずに加担していた自分が

悲しくなる事が多々ある。

食肉や卵、牛乳がいつも

マートに綺麗に並んでいるとは、

どういうことなのか。


季節問わず、

野菜があるというのは

どういうことなのか。


洋服が格安だったり、

革製品が簡単に手に入るとは

どういうことなのか。


安定供給のために

土を汚し、海を汚し、

分解ができないゴミを

積み上げる。


私もまだまだ

詳しいわけではないが、

人間の欲望を満たすために

自然や他の動物たちを

生き物と認めないような

「搾取」の上に成り立っている。


消費者がもっと安く、

もっと早く、

常に「ある」を求める限り、

なかなか崩れない搾取の構図。


そういった事を

少しずつ知っていくと

人間は地球にとって

害虫でしかないと思えてきて

葛藤の真っ最中だった。

地球に迷惑かけないように、

と行動すると、

もう食べるものも

着るものもなくなってしまうのが

今の社会システムだ。


私は

ヴィーガンやベジタリアンには

ならないと決めたけれど、

出来るだけ、

迷惑かけないように、

命を頂きながら、

そしてそれに感謝しながら

生きたいと思った。


そんなときに、

この一節を読み、

「あ、これ、いい」と思った。


自らを害虫扱いして

罪悪感を刺激して

「申し訳なく」「迷惑かけないように」

生きるのではなく、

地球から、それでも

深く愛されていると仮定して

そんな地球のために

してあげたいことをしようという

モチベーションのほうが

もっと人を自然に

動かせるような気がしたのだ。


「愛」を刺激して

行動するほうが

どちらもすごく救われるのではないかと。


同じ「エコバックを使う」という行動でも

全く違う行動じゃないかくらい

気持ちが違う。


地球が本当に愛してくれているかは

調べられっこないが、

こんな私達をそれでも許し

愛してくれていると仮定して

行動をすることが

気に入ってる最近なのである。

0コメント

  • 1000 / 1000