写真に魅せられた人
韓国からここに来て
一年半が過ぎた。
きっと楽しいことに満ちてる!
カリフォルニアドリーム!
なんて、
期待に胸を躍らせて、
幼子二人を連れて
ロサンゼルス国際空港に
降り立ったあの日。
実際の駐在生活は、
海が綺麗で
緑豊かなサンディエゴを
楽しみつつも、
主人が
心配でならない日を
多く過ごしてきた。
体力的にも、だか
精神的にとても参ってる彼に、
何度
「もう会社辞めていいよ。韓国戻ろうよ」
と言ったことか。
何度も覚悟を決め、
腹を括った。
別にここにいることだけが
「幸せ」じゃない。
「私たちの幸せ」は
どこにいたって実現可能だ。
そこに
意地でもこだわりたかった。
会社なんて屁でもない!
(もちろん強がりもあります笑)
虚な目で
「なんで生きてるか分からない」と
いう彼に、
何もしてあげられない無力な自分が
悔しくてたまらなかった。
だから、
彼がフォトグラフと出逢い、
運命的にカメラの師匠と出逢い、
繋いでくれた
目に見えない何かに
もう心から感謝した。
彼の瞳の奥に、
小さく光が宿った。
声には色が乗った。
そして、よく
笑うようになった。
ここに来てから
我慢の日々だった彼は、
自分の努力の方向性を見出し、
家のエネルギーが
再び大きく流れ出した。
それはまるで
ハウルの動く城のように。
師匠は
お金かかること教えてごめんね
なんて言ってくれたけれど、
(カメラ機材はすごくお金がかかる)
死んだように生きるくらいなら、
このくらい、本当に安い。
彼が楽しいと、
それは私たち家族も楽しいということに
直結する。
「楽しい」というと、
ピンとこない人もいるかもしれないが
「辛い」だとよく分かるだろう。
家族が、
心配になるくらい「辛くて苦しい」と、
一緒に住む家族がその横で
手放しで幸せ!な状態になることは
ほとんど難しい。
だから、その逆、
家族のメンバーが「楽しい」と
それは家族全体の士気を
当然上げてくれる。
改めて、
自分は、
自分も、
幸せにならなければならない。
意地でも、自分を幸せに
しなくちゃいけない。
それは
家族のために、
子供たちのために、
幸せにならなくちゃいけない。
そんな思いで
私自身も突っ走ってきた数年間だったが、
ここにきて、
「周りの家族」の身としても、
しみじみと感じた。
「アッパ(お父さん)は
人の幸せな瞬間を撮ってるんだ。
みんな、笑ってるでしょ?
誰かの幸せを撮って、
自分も幸せになって、最高だよね」
子供たちに
楽しそうに話す彼。
もちろん、
駐在生活は相変わらず苦しい。
だけど、
カメラへのパッションが
彼をなんとか支えてくれている。
私たちは
きっと
大丈夫だ。
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